―――――――サロメ
『 サロメ。王族の娘。一族の舞い手。
舞っておくれ、王のために。素足に金の輪、七枚の布で。
褒美はおまえの望むままに。 』
『 ならば王よ、私が望むのはただ一つ。
私が欲するものはただ一つ。
―――――――下さりませ。 』
「 銀の皿にのせて、ヨカナーンの首を。 」
サロメの首 。
「……なんつーか、エグい話だなー…」
「そお?きれいなお話だと思うけど。」
これ以上ないほど率直な感想に、目の前の少女は気を悪くした風もなく―――むしろ俺のげんなりとした様を愉しむかのように、くすくすと笑った。
暮れゆく空を背に机に腰掛け、無邪気に細い足を揺らす。清楚な紺のセーラー、華奢で小柄な身体、肩上の髪の愛らしい少女だ。
生臭い話も、そしてそれを肯定する物騒な態度も、似合わないことこの上ない。
「いやだってよ、生首だぜ生首!きっしょいだろ、普通に考えて。」
「やだ、もうデリカシーがないなぁ!素敵じゃない。そこまで想われるなんて、さ?」
「下半身どころか首から下全否定な愛され方なんて、俺ならゴメンだな。」
我ながら軽薄に肩をすくめると、彼女もやれやれ、といった風に軽く肩を竦めた。
拍子に一瞬閉じられる瞳。“夢見るように”、とでも形容したくなるそれに、まったく俺は溜息をおさえるのにほんの少し苦労した。
「だいたい、どーいういきさつで首なんて強請ったんだ?
その…サロメって女は。」
ちなみにどういった経緯でこんな話に至ったのかはすっかり忘れた。さらに興味の無い風を装って問いかける俺の台詞に、彼女はそれこそ即座にぱっちりと嬉しげにその瞳を開き。
「そうねぇ…そう、本当に簡単に説明するとね?
まず、ユダヤ王ヘロデの元に、預言者ヨカナーン―――聖職者ヨハネとも言うかな―――が現れる。確か、王と王妃の近親婚の罪を咎めるために。」
…だっけ?と微かに弱気に首を傾げる動作に、首をこくこく縦に振ることで続きを促す。
「ふんふん。で?」
「ええと、で、ヨカナーンの高潔さにヘロデの姪にして義理の娘、サロメも一目惚れ。
でも、聖者である彼はサロメの誘惑を一顧だにしない。絶望した彼女は王に願うの。
“七枚のベールの踊り、その褒美にヨカナーンの首を―――――…”
まあ、本当に血の滴る生首に愛しげに口付ける彼女に、さすがに王も恐れを抱いて、そこらの兵士に彼女を殺させてしまうんだけどね。」
ちなみに、サロメの話は色々あって、これは『戯曲・サロメ』の話。
楽しそうに囀る果実色の唇を見ながら、俺はその内容の毒々しい甘さにがっくりと肩を落とした。
「…やっっぱエグい話だな。」
「んんん…文章だと、とても綺麗な話なんだけど。
“Salome with the head of John the Baptist”『洗礼者ヨハネの首をもつサロメ』とか、絵画や劇の題材にも よく使われるしね。」
「芸術は俺はちょっと…」
「はいはい。話す相手を間違えた私が悪かったわ。」
「むぅ…」
流された。怒るならまだしもそういう反応では、こちらも中々に立つ瀬がない。
「――――…なんで、そのサロメってヤツはふられたんだ?
いや、ヤバイ奴ってことは十分よくわかったけど…ブスだったのか?」
その後の沈黙と会話の断絶を厭い、さらに適当な疑問を口にした俺に、彼女はさらさらと首を横に振り。
「逆逆。絶世の美少女よ。王を、義父を虜にするほど妖艶な美貌の、ね。
ヨカナーンは預言者―――聖職者だって言ったでしょ?神に全てを捧げた者。誰のものになる存在でもないじゃない。
まあ、拒まれたからこそ余計にサロメも燃えたのかもしれないけどね。ああ、どんな手を使っても、どんな形でも彼を手に入れたい!
…私だって欲しいもの。」
そうくすくす笑う彼女の声には、妙な実感がこもっていて。そして――――…
「ねえ?
『 銀の皿に載せて、“彼”の首を―――――――… 』」
決められた台詞を口にするように、情感をこめて。恋の、詩を、歌うように。
そして俺は、眼前に見る。
愛らしい、その相貌を造りかえるほど鮮烈な―――――妖艶な、笑み。
( サロメ。 )
血の滴る生首に笑う女。
ドクリ、心臓が重低音を響かせた。窓の外の夕焼け。赤い空が彼女の肌を紅く染める。紅い彼女の唇。恋した男の首に口付け笑うサロメ。
――――恐ろしい。が、彼女の言う“綺麗な話なの”という意味が、少しわかってしまったような気もした。
「――――…しっかし、そんな、美人だったら、他にも言い寄る男はいくらでもいただろうになぁ。」
「ええ。世界の栄誉を手にした父王を筆頭に、ね。それでもサロメはヨカナーンを選んだ。
高潔さに憧れたか、好奇心か初恋の衝動か…でもほら、手に入らない相手って、ちょっと燃えない?
禁断の恋、とかさ♪」
渇いた喉で吐き出した応えに、美しくもおぞましい幻影から一転。そこらにたむろする恋愛至上主義のバカげて甘い少女の無邪気さで同意を求めてきた彼女に
「怖っえぇ…俺、お前にだけは気をつけよ。首ちょんぱなんてされたらたまんねぇし!」
「安心して。」
装った軽薄さに返された声は平静。無邪気。そして無関心の冷ややかさ。
唐突に、しかし唐突さを感じさせることもなく立ち上がると、彼女は時計にちら、と目を走らせ、鞄を手にとった。
引き留める間も理由もないまま机に腰掛けた俺をそのまま、華奢な後姿が教室のドアをくぐる、刹那。
「あなたは私のヨカナーンじゃないわ。」
ドアが、閉まる。
遠ざかる軽い足音。血のような夕焼けに染まる教室に、俺は一人。
――――――――
「知ってるよ。俺はヨカナーンなんてガラじゃない。」
肩を竦め、ぽつり。不吉に赤い空だけを目に映し、想う。
血生臭い物語の綴られない続き。
ヨカナーンの首を手に入れ殺されたサロメ。
ならば、そのサロメの首はどうなった?
類稀な美貌。王の血族。彼女に焦がれた者もまた数多かったはずだ。
それこそ、下級兵士にとっては高嶺の花。…禁断の、恋。
美しい女の首を抱きしめ笑う兵士の姿が脳裏をよぎった。
そう、俺は、聖者なんてガラじゃない。
「『 望むのは、サロメの首―――――――… 』」
呟きは、血の色をした夕焼けの中だけの幻聴だと、ただ、祈った。
End
物語サロメの部分は結構適当(お目汚し)。というか諸説多すぎ。
少年は馬鹿っぽい会話に織り交ぜ、少女を怒らせようとしています。
双方、半分演技で半分素。
腹黒同士だったりすればいい。